“タプローは鑑賞者がつくる”と云われる様に、一発信者と複数の受信者が存在する。芸術作品は常に観る者の両極上に存在する。或る程度迄、鑑賞者は画家の意図に関わり、其処にメッセージを見出すものか? だからといって、お互いの意図のやりとりのせいで、内容が枯れることがあってはならない。何故なら相互間には審美的関係が存在する放にであり、一鑑賞者の目が“画家の内面空間”を凌駕しえない理由にはならない。画家は視覚機能を再構築しており、即ち画家自身の視覚機能とし、知覚と相対する〈距離〉は、作品の客観的内容に大変重要な役割を果すことになる。
この作品は、作品の中に、信号、意義、音楽、歌同様すべて新しい作者自身の生命を注入するのである。生命が一つの期待である画家は恐らく自分の神秘的メロディーを追いこみ、見失しない、そして再発見する為にその期待を是認するのだろうか。制作し終えたばかりの最新作ともなれば、朝から晩まで、夜から朝方まで絶え間なくメロデイーが流れる問、作品は完成に至るのである。
絵画は充分音楽であり、屡々“図表的踊り”即ち、自らの読み方を其処に見出し、見振り、情熱、均衡といった多様の飛翔をみる大衆との異なる絆を伴うのである。結果、之等飛翔に依り多数の鑑賞者の慾求が満たされ、その他様々の構成分子のリズムに併せて創造を夢見ることを可能ならしむるのであろうか。
若し芸術が“夢への扉”とするならば、作品は不断に再開せねばならない一つの終焉であり、画家、彫刻家の天職は反省と冥想であり、受身の主題は生証人に置き換えられる。雰囲気は破られ、それ故に内面的真実が見出されるのである。
同じ文章とて口遊む者、それを話しかける相手によって、意味の捉え方が異なるが、絵画とて同様だ。同じ絵であっても眺める者次第で同じインパクトは伝わらない。
今日新しい生活条件から生れた環境の中で種々な文化が形成されているが、画家達は中就重要な役割を担っており、自ら形成されつつある世界の視覚機能を表現し、各世代ならではのイメージの反映を生み出す一方、画家はその時代の目を備えており、故に記録し、創造しつつ自分の時代の消し難い印を刻みこんでゆく。
残存願望の反射主体たる芸術こそ人と人の最良の通信手段となる。何故なら本質的なことは、人々が体験する感情的衝動を転置する手段を発見することにあるからである。
画家、彫刻家は一種鏡の様なもので、自らの感性、知性、表現方法を通して、自然と空間が織り為す多様な造型を調和よく組立て、鑑賞者に送り返す。今に始まったことではない。自分の言葉を理解し存在すれば充分である。命の言葉を語り続け乍ら、宇宙の様々な象徴を実現して行くのである。
その時、現実からの逃避ではなく、又戯れることなく、大切な事は、タブローの魂になることであるという表現価値と等価の境地に到達することである。之は即ち鑑賞者を即刻詩的状況に誘う。心の満足を求める鑑賞者はそこに自らの人間性、自らの倫理観を発見し且つ独自の概念を導入するのである。人は故意に自然を破滅さえしなければ、自然は人間と共に在るということに気づく。画家は無意識の内に自然を受入れ、在る姿以上に在るがままに表現すべく考え抜いた自分自身の中に自然を再生する。自然は「熟考」、と「英知」の鋭い面を通過したことで、自らの感情的資質と理想的感覚の限界を逸脱しない。何故なら画家は〈絵画の真只中に在る〉のだから。
鋭敏な感受的状態とか慈悲心溢れる状態もまた、存在の基礎的行程を長時問掛けて経過すれば、寛大な魂の特権の場となろう。神秘や精神的知覚が大きな割合を占める。之等なくしては、息抜きの場が存在しないからである。
性格は考慮されねばならないが、人間的表現、単なる存在の感動、とりわけ感情力が大きな役割即ち触媒の役割を果す。熟慮された自発的印象は新鮮さを盛込みたい場合に、手本となり、造形語を加えたい場合、信号となる。その力が言葉である。
自然の開拓は意識的創造となる。芸術家達は、計算された進歩の中でキャンパスや大理石を入手し、自分ならではの構成を期し、一種人間味ある尺度で空間を埋める。芸術家の作業は正当化され、彼等の折衷主義は発展的、先見の明ある担保となる。この混乱極まる世の中で画家迷は彼等に課せられた義務将又果すべき卓越した役割を意識して来た。彼等の自由になる財宝は画家相互間の触れ合いとアイデアの移行である。それ放に芸術は芸術家の基本義務の一つとして、人間の記述を運搬することであらねばならない。
人々の必要に応えて、時には自ら最も厳しい裁き手となる画家は、或る特別なものを信じたい。殊に表現の自由の防衛、この社会での画家の位置付けの確保等々を願っている。そして万一画家の言葉に偽りがあるとすれば、芸術は虚偽の温床と化すであろう。
《技術》
ありとあらゆるキャンパス上に描くアクリル素材を用い、櫛などの道具類で掻削った仕上肌の妙味を追求して来た。作品は最低24時間寝かせ乾かすことにしている。
描記的構成を主核とする油彩、アクション・ベインティング、黄金分割裁を追求するが、原則論を云えば、形状も表而仕上肌も常に不平等性を持たせる。換言すれば、小、中、大、寸法のフオルム、テクスチュール、線状乃至色彩等全て平面的且つ四方への気配りを欠かさない。
更に選んだ方向に従い、縦型キャンパスは、新しい構成の研究対象となる。主たる線が曲線によってキャンパスから跳び出して、別の面に戻って来る様なダイナミックな構図は、特権的に多用している。静止した別の構成方法即ち四角いキャンパス中では、円将又楕円形が主たる役割りを果す。
Japan Internal artists society
2002年 日本国際美術家協会誌 VOL. 27